いつか月を歩こう

自分大好きなオタクが自分語りする

『死は救済』教って都合よくて心地いい

 私は昔から死は救済であると信じて疑わない人間です。

 

 嫌なことがあったら全力で逃げて後回しにしてきた人生!巡り巡って大事な場面でそのツケが大量に押し寄せて首を絞めてくる!辛い!みたいな場面があまりにも多すぎる。逃げずにやらなきゃいけないことはやればこんなことにならなかったろうに…と毎回思うけど、そんなの無理な話なんだよなぁ。だってそのときそのときが一番嫌だから逃げたのに。怠惰な私は毎度逃げては追い詰められて苦しむというパターンをアホほど繰り返して生きてきたもんだから、必然と「終わり」を望むようになっていった。そりゃそうじゃん。辛いことなんかさっさと終わったほうが早ぇじゃん。その辛いことを終わらせるには問題に向き合うか、また更に逃げるか、物理的に生命の維持を断絶し強制的に終了させるか。問題に向き合う?嫌だよ辛すぎ謙信!苦しみたくはないんだよ。じゃあ更に逃げるかとなると逃げすぎても逃げ道がなくなりどうしようもなくなる。となると後はもう死を持って全てを終わらせるしかない。なんて素敵!すごい!一瞬!「うわ〜!辛〜!助けて〜!」ってならなくても「よっしゃやったるで!」の次の瞬間でおしまい!ってなる。最高。しかも死にたいな〜、誰か殺してくれ〜って思ってると大抵のことはなんとかなってることも多い。死を希望にすると「まぁどうせ後で死ぬし」みたいな思考になってすごい気持ちが楽になる。神様と同じレベルでの安らぎを得られる。

 

 他にも早死ににはメリットがあります。それは『好きな人間の死に目を見ることがない』です。

 私が死ぬようにいつか好きな人間たちも死んでいく。私が死ぬのは耐えられるけど、好きな人間が死んでいくのは耐えられない。想像したことあります?朝ニュースをつけたら灰色の文字で「〇〇さん 急逝」の文字が飛び込んでくることとか電話がかかってきて震えた声で告げられる誰かの死とか。最近あの人見ないよねって言ったら誰かが軽く「あの人亡くなったんだよ」告げる場面とか。人間はいつ死ぬかわからないからもしかしたら私が寿命を全うするよりもだいぶ早くに死んでしまうかもしれないしそうじゃないかもしれない。私の場合好きな人間が年上なことが多い。寿命的な面で見ても好きな人間の方が先に死にやすい状態である。さっきも言ったけど「好きな人間が死んだ」という事実を知ってしまう瞬間が1番の恐怖であるし、でもかといって死んだことを知らずに私が死ぬのも釈である。そうなると誰よりも先に私が死んでもううやむやにするっていうのが一番いいと思うんですよね。本当好きな人間よりも早く死ぬか好きな人間が不老不死にならないとこの問題解決しねぇな〜。

 

 話が逸れたけどそんなこんなで死っていいしときには宗教になるよねっていう話でした!

早く楽になりたいね!元気もりもりメメントモリ

誰か辞書で殺してくれ

  語彙力が無い。悔しい。本当に語彙力が無い。

 よくツイッターとか友人オタクは「語彙力が無い」ということをネタか本気かは分からないが軽く息を吐くように言う。マジ?みんな本当にそう思ってる?実は語彙力あるけど無いふりしてるんじゃない?私はこんなに言いたいことを上手く自分の言葉に出来ず苦しんでいるのに?自分の頭の出来の悪さに毎日毎日悶えているのに?じゃあみんな小さい頃何読んで今の語彙力を手に入れたわけ?特に語彙力が確実にあると思われる人の好きだった漫画を聞いたら全部小学生でそんな高度な漫画読む?みたいなものだった。こちとら中学まででんじゃらすじーさんで育ったんだぞ。うんことちんこでコミュニケーション取ってたのにいきなり高度な言語使ってこないでくれ。

 どうやったら相手にわかりやすく伝わりやすく魅力や素晴らしさを伝えることができるんだろう。考えるのを放棄したくはないがいかんせん頭の辞書には私の伝えたい事柄を表す言葉を教えてなんかくれない。本物の辞書を引いてもちぐはぐでやはり自分の言いたい言葉を表すものが見つからない。二次創作小説を書き自分で読んだ時、違和感しかなくてまるで小学生がイヤイヤで書いた読書感想文のような文体に見えてきて思わず小説を消してしまった。

 

 全部言い訳である。自分が幼い頃読んでいたのは色んな性格や知力の子供でも楽しめる素敵な漫画だった。文章だって上手い人は自分の何倍も沢山書いているし、自分の何倍も沢山考えて感じて探して言葉を見つけてそれを吸収してきたのだ。「語彙力がある人」に語彙力があるのは全てその人の経験と学びによって培われたものなのだ。当たり前である。急に言葉が湧き出てくるわけではない。大して努力もしないで悔しいだなんて軽々しく言うなと誰かに言われてしまいそうだ。「語彙力がない」と軽く言うが語彙力がないのを気にしていないのは、それで自己を表現できているからだ。無理に語彙力を手に入れなくてもその人の世界は回っている。言いたいことが伝わらないなんて悩んでなどいない。それでいいと本人は満足しているので外野があーだこーだと言う必要はないのだ。

 

 

ぽこちん!(ジングルだと思ってください。飛ばしてもいいコーナーです。)

そもそもここまでの文章、ちゃんとした文にしようとしてめちゃくちゃ読みづらいしマジでなんなのって感じがするわ!もうちょいTwitterの延長でやるつもりだったのに変に文を魅せようとしてただの早口ぐちゃり笑いキモオタ喋り口調にしか見えんくなった!

普段『!』を乱用してしょうもないことも大騒ぎしてるように見えるからめちゃくちゃ明るい狂人に見られがちだし(ONのときはそう)、ガハハ!とか言いまくってるから豪快みたいになってるのマジでやばい。でも最近Twitterでちょっと落ち着いた話をするようになってからフォロワーめちゃくちゃ減ったからみんな狂人の方が見たいのかもなぁ。そりゃそうだよなんでTwitterですら根暗な人間の発言見なきゃならんじゃって感じなんだろうよ。知らんけどな!ダハハ!

 

 

というわけでもうちょっと文章力をつけて知力のある明るい狂人みたいな感じになれたなぁと思ってま〜〜〜す!!!!!!!!!!!!!!!!!!

というわけでタイトル回収でーす!ありがとうございました〜!

 

 

 

 

私と母と下着選び

「この人尻がでかいんです。」

 

 もう何回聞いたであろうこのセリフを母は今日も店員にそう言った。店員はいやっそんなことないと思いますよと私を見ながら言った。この人とは私のことである。

 

 服屋や下着屋に行き、試着した後や服を手に取って見ているときに話しかけてくる店員に一緒にいる母が必ず言うセリフ第1位である。ちなみに第2位は「この人腹が出てるんです」、第3位は「この人太ももがすごくて」である。

 母は母なりに私のためを思い(今後着れるサイズなのか、尻や足の太さが目立たないかなど)言ってくれているのだと思うが言われるたびに誠に遺憾な気持ちになる。

 確かに私はデブである。そこはもう否定しない。普段腹を引っ込めてあたかも「ちょいぽちゃです〜」みたいな態度でいるが多分隠せてない。しかし見てわかるのに改めて言われるとやっぱり恥ずかしいと一丁前に思ってしまうのだ。

 

 今日もそういった出来事があったのだ。しかし今日はいつもとちょっと違った。例によって母と買い物中、下着屋に寄り試着し購入することになった。「ブラトップとノンワイヤーブラでええやん。ユニクロの。」

試着中そう言ってくる母は可愛い下着には興味がなかった。しかし私にはある。母が買ってくる下着(私が何も言っていないにも関わらずいつも買ってくる)のブラトップやスロギーを着用し続けてきたが、こういったノンワイヤー系をずっとつけていると乳が垂れると聞き、自分の乳を見て危機感を抱いていたためワイヤー系のブラを購入するべく一緒に買い物していた母を連れてきた。

 試着を済ませると、母と店員が私を待っていた。

「セットのショーツはこちらになります」

そう言い店員は試着したブラと同じ色のショーツを持ってきた。

「サイズはMとLがございますが」

そう店員が言った瞬間、母は冒頭の台詞を言い放ったのだった。

「この人、尻がデカイんです。」

始まった。私はそう思った。

「いやっそんなことないと思いますよ!」

優しい店員さんのハキハキとした声が店内に響き渡り、通りすがりのおばさんが私の尻をチラッと見ながらレジへ向かっていくのが見えた。

「もうやめてよお母さん、恥ずいから…」

母の腕を叩きまるで母と娘の定番のやりとりってだけでふざけてるだけなんです〜っていう空気にしようと試みるが母は止まらない。

「いやマジでデカイんです。冗談とかじゃなくてホント大きくて、」

そう言いながら店員さんが持っていたLサイズのパンツを受け取りながら私の尻に当て、

「ほらちっさい!!!!!!!!!!!!!」

最悪である。実際に入るが尻が少しはみ出るんだろうなっていうサイズ感なのがさらに私に追い打ちをかけてきてもう笑うしかなかった。

「多少はみ出ても大丈夫なデザインですので大丈夫ですよ!」

優しい店員さんの優しい嘘が心に優しく爪を立てていく。なんだ尻がはみ出ても大丈夫なデザインって。

 

あーそうなの?なんて言いながら母は私の選んだブラと、少し尻がはみ出るパンツをレジに持っていった。会計をしてもらい、ようやくこの地獄のような店内から抜け出せると思っていた瞬間母は口を開いた。

ユニクロのブラトップってあんまりよくないの?ほらノンワイヤーの」

急にそんなこと聞く?と思いながら私は店員さんから商品の入った袋を手に取る。

「そうですね、下着会社から出てるものでないとあまりといいますか、かなりよくないとは思います…凄く楽なんですけどあまり胸を支えていないので…」

店員さんは他社の下着についても丁寧に教えてくださった。最初から優しくて涙が出そうである。

「エーーーーー!!!!!!そうなの!?!?!?!?だから私の乳だるんだるんなんだ!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

もう勘弁してくれ。店員さんも流石に堪えきれず大爆笑していた。私は天井を見上げていた。

人を羨む人生

「いいなぁ」が口癖である。

 

 友達が私の持っていないおもちゃを見せてきたとき。

 嫌いな人間の家族とディズニーランドに行った話を聞いた時。

 好きな人と仲の良い友達が手を繋いで下校をしているところを見てしまったとき。

 私よりも先に進路を決めた友達が次々と髪の毛を染め始めたとき。

 

 真っ先に、「いいなぁ」と思っているような人生。今文字にして情けないというか、本当に私は空っぽな人間だなと思って凹む。

 

 自分に持っていない、できないことをしている人間が羨ましくて仕方がない。死ぬほどほしくてたまらない。かつては何も持っていないなりに努力して、手に入れようとした時期もあったが所詮空っぽな人間には到底手に届くはずもなく、自傷行為のように絶望し続けたのでいつの日か辞めてしまった。もっと空っぽな人間になるとわかっているがもう怖くて動けない。

 

 本当は、私の努力が足りないことくらいわかっていた。私よりも頑張っている人なんてこの世の人間のほとんどで、そのほとんどの人たちからしたら私の努力なんて努力に入らない。そりゃ届かないはずだ。マイナススタートの人間はゼロスタートの人間よりも遥かに後方にいるのだからもっと頑張らなきゃいけないのは当たり前なのに。

 

「お前の努力は、誰かの当たり前だ」

 

 面と向かって言われたことがある。

どうして、なんで、私だって頑張っているのに。じゃあこの「頑張っている」ってなんなの。誰かの当たり前ってことは、私は当たり前すらできていなかったのか。

 なんか全部どうでもよくなって、いつも自分に言い聞かせてきた「やればできる」にすら絶望した。できていない。まるで。じゃあ、今まで、頑張ったと思っていたこの行為達は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて私は弱いのだろう。誰よりもできない人間のくせに誰よりも簡単に絶望する。勝手にどん底に落ちて、勝手に上を見上げる。その方が楽なことに気づいてしまったから。

 

 今日もテレビを観て、本を読んで、映画を観て、友達と喋って、人を羨む生活をしている。人を羨み、諦めて、逃げる人生。今日もまたそんな人生。

 

 

 

 

 

 

 

 私もいいなって言われたみたい。そんな人生。

私と父と星と夜

私は星や月や宇宙が好きだ。天体観測とは言えないけど夜空を見上げて本やスマホでの知識と照らし合わせながら星を見たりするのが楽しくて仕方ない。プラネタリウムに行き寝そうになりながらも見る星空も好き。だからなのか自分の持ってる小物を見ると星や月や宇宙モチーフのものが多く、周りからも「お前こういうの好きやろ」と星モチーフのアクセサリーをいただいたりする。純粋にキラキラしていて綺麗で可愛くてかっこいいのだ。宇宙には全てが詰まっていると勝手に思っていて、私の憧れそのものなのだ(なので私は推しや好きな人を尊敬を込めて皆宇宙だと考えてる側から見ればちょっとヤバイやつである)。あんなに人類の技術が進歩していて、少しずつ宇宙のひみつが暴かれている現代。しかしまだ遠くて未知に満ち溢れている。手が届きそうで届かない。だから人間は、私は宇宙に恋い焦がれ益々魅了されていくのだろう。

本題に入ろうと思う。序盤でなぜ私が宇宙が好きなのかが少しは伝わったとは思うのだが、そもそも何がきっかけで私は星に月に宇宙に興味を持ったのかと思い返していたのだか、その時にふと父とのある思い出が蘇った。父との思い出は普段散々ツイッターでも言い散らかしているのだが、やっぱり良い思い出というものは長々と話したくなるのだ。許してほしい。

私の父は面白くて賢い人である。自分で言うのもなんだか気恥ずかしいが、私は父のことが大好きである。別にファザコンではない。父は良い意味で子供っぽいのに頭が良いのだ。別に有名な大学を出たわけでも、有名な企業に勤めてるわけでもない。でも知恵が周り、そしてやることが全部くだらなくてついつい笑ってしまうようなことばっかりなのだ。この間も急に
「俺ブラジリアンワックスしてみたいんだよね」
と言い出しドンキホーテに家族を全員連れていき、鼻毛用ブラジリアンワックスを買い、家に帰り家族全員で強制的に鼻毛を抜いた。こんなに楽しい鼻毛抜きは初めてであった。そんな父に色々教えてもらい、色んなことに興味を持つきっかけをもらった。その中の1つが『天体観測』であった。

小6の冬休み、学校から何か自由研究をしてこいと宿題を出された。今までの自由研究でやってきたことと言えば毎年のように作っていたペットボトルと紙粘土でできたペン立て(そもそも自由研究じゃない)、バケツとまでもいかないがでかいボウルで作ったプリンの作り方(もはやクックパッド)など自分がどれだけ適当な人間なのだろうかと思い知らされるものばかりであった。小学生最後の冬休み、とうとう担任の先生に「頼むから工作以外を持ってきてくれ」と言われたので父に何か無いかと聞いてみた。そもそもペン立てやプリンは父の差し金であった。なので今回も良い案を出してくれるだろうと期待をしてみたのだ。父は少し考えた後、
「お父さんと星を見に行くか?」
と言われた。
「そう、お前理科で星のこと習っただろ」
「習ったけど」
「じゃあ星にしよう。お父さん実はな、星とか宇宙が好きなんだ。カッコよくね?お父さんめちゃくちゃ宇宙行きたいもん。そんで学校で習った内容を宿題でやったら先生も喜ぶんじゃない?よし、星にしよう!」
意気揚々と提案してくる父を見て、こんなにウキウキしてるんだったら面白いに違いないと思いすぐに「じゃあそれにする」と返事した。余談だが後に父にこんなことあったけどそういえばなんでお父さんは宇宙とか好きだったの?と聞くと、
「ほら俺ガンダムシリーズ好きじゃん。ガンダム大抵宇宙にいるし。」
と返ってきた。うちには昔からガンプラが棚に飾ってあったなとぼんやり思い出した。

その日の夜、早速星を観察することになった。今回の自由研究は冬の星座を観察しその写真を撮り模造紙に貼るというものだった。そのために父は意気揚々と私を連れ近所の土手に連れて行った。当時住んでいた場所は山の中の田舎で、街灯など全く無いような天体観測にもってこいの場所であった。普段夜は出歩くことのない小学生の私は近所の土手に行くだけでかなり興奮していたのを今でも覚えている。天体観測をする前に事前に冬の星座を調べ、図書館で星座の本を借りてきた。星を撮影するカメラは父が用意したと言っていたのでワクワクしながら星のよく見える場所に行く。
「開けてるし星もよく見えるからここにしよう!」
父は三脚を立て、デジタルカメラをセッティングした。私も借りてきた本を懐中電灯で照らしながら冬の星座のページを開いた。
「冬はな、空気が澄んでるから夏よりも星が見えやすいんだぞ。」
「それ先生も言ってた。」
「お!じゃあお父さん大正解じゃん!すごくね?」
「すごい!なんで知ってるの?」
「お父さん天才だからな!」
実はこっそりお父さんも天体観測の本や私の理科の教科書を読んでいたことを知っていたが何となく知らないふりをした。自分のためにカメラを用意したり本を読んだりしてくれたことが嬉しかったのでなんとなく黙っていた。
あれが北斗七星であれがカシオペア。あれオリオン座だよ。ほら、本と同じ形をしてるだろ。あ、あれ冬の大三角じゃないか。授業でやっただろ。
父が指差すを方を見上げ、本と照らし合わせ、きちんと星座があることを認識し、写真を撮る。興味のなかった夜の空がどんどん綺麗に見え、父と二人で大はしゃぎで空を指差す。今思い返してもめちゃくちゃに楽しかった。

今私は一人で暮らしているが、夜道を歩いている時やベランダに出た時にふと空を見上げ、「あ、オリオン座」と呟く。なんてことない夜の空は、あの日以来ずっとキラキラ輝いている。だからなのだろう。私は星や月や宇宙が好きである。父も好きな、まだまだ謎だらけを沢山発見できるステキ空間を愛している。

はじめた

 ついにブログまでもはじめてしまった。

 

 普段はツイッターの140字で暴れまわっているのだけども、好きなフォロワーさんもやってるのを知り、ついやりたくなってしまった。

 

 前々からやろうかな、なんて思ってはいたのだがなかなか手が伸びなかったのは自分が飽き性であると思っていたし、文章もご覧通りなかなか拙く酷いものであることを知っていたからだ。

 

 国語の成績は昔から良かったが、自由に文章を作成していいよとなると途端にダメになり、「貴方何言ってるの?」と言われることが多かったからか、長文に死ぬほど自信がなかった。

 

 でもこれは誰のためでもなく私のためのブログであり、140字では書ききれないあれやこれをぽつぽつと書けたらなーとゆるく思っている。

 

 あと若手俳優風に書いてみようかと思ったんだけど普通に若手俳優でもない私がやるのもなんかなって思ってやめた。

 

 そんなこんなでやっていきます。多分3日で飽きる。